東京地方裁判所平成16年8月19日判決
事案の概要
バイクに乗ってタクシーの後ろに続いて交差点を左折中,タクシーが急に通路を変更したため,危険を感じ,タクシーに近づいて文句を言ったところ,いきなり殺虫スプレー「ゴキジェットプロ」を顔面に吹き付けられて負傷した事例
前提事実
ア 控訴人は,本件事件当日の午前9時ころ,タクシーを運転して二子玉川駅近くの本件交差点を左折して同駅前に進み,前方2車線のうち,歩道側車線の先方にあるタクシー乗り場に向かおうとしたが,同車線には,客待ちのタクシーのほか,その最後尾に少しスペースを空けて自家用車,トラックが停止していたため,中央側車線からその自家用車,トラックを追い越したうえ,停車中のタクシーの最後尾に停車しようとした。
しかし,次の瞬間,別のタクシーがタクシー乗り場の最後尾のタクシーの後ろに新たに停車し,その後ろに停止していた自家用車との間に控訴人が入り込むスペースがなくなったため,控訴人は,歩道側車線に停止していたトラックの後ろに停止しようとして,中央側車線から歩道側車線に進路を変更した。
イ これに対し,被控訴人は,自動二輪車を運転して控訴人のタクシーの後ろに続いて本件交差点を左折し,中央側車線を進行しようとする控訴人のタクシーと歩道側車線に停止中の車両との間隙を通って進行しようとしていたところ,前記のとおり,控訴人のタクシーが歩道側車線に進路を変えたため,衝突しそうになって,衝突を回避する行動をとった。
そのうえで,被控訴人は,控訴人のタクシーの運転席付近に近づき,控訴人に対し,「危ないだろう。」などと言ったが,控訴人がこれに答えなかったため,窓を叩いた。そうすると,控訴人が窓を開け,「何だ。」などと言うため,繰り返し「危ない。」などと言って,控訴人の運転について注意したところ,控訴人が「何が危ないのか。」などと言い返し,口論となった。
ウ その口論の最中,控訴人は,運転席の窓越しに殺虫スプレー「ゴキジェットプロ」をかざし,いきなり控訴人の顔面に目がけて吹き付けた。
エ 控訴人は,さらに,運転席のドアを開けて外に出たが,その際にドアに押されるような状態で自動二輪車に乗ったまま転倒した被控訴人が起きあがったところ,再び殺虫スプレーを吹き付け,被控訴人が「それは何か。」などと言って殺虫スプレーを取り上げようとしたときにも,さらに殺虫スプレーを吹き付けた。
オ その結果,被控訴人は,殺虫スプレーの霧状の液体が目に入り,全治1週間を要する傷害を負うに至った。
裁判所の判断
被控訴人に対して殺虫スプレーを吹き付けて傷害を負わせた控訴人の行為は,不法行為に該当することが明らかであるから,違法性ないし責任が阻却される事由がない限り,被控訴人に対する不法行為責任を免れないところ,控訴人は,控訴人の運転に落ち度はなかったにもかかわらず,被控訴人が控訴人の運転に一方的にクレームをつけ,タクシーの窓を激しく叩くなどしてきたものであって,控訴人と被控訴人との間の本件事件に至る諍いは,専ら被控訴人のこのような言動によって誘発されたもので,控訴人において,そのような被控訴人の一方的な言いがかりから逃れるためにやむを得ずに殺虫スプレーを吹き付けたのであるから,正当防衛が成立すると主張する。
結局のところ,被控訴人がその間隙を進行しようと考えたのは,当初,控訴人が中央側車線を進行しようとしていたためであって,それにもかかわらず,控訴人が途中でやにわに歩道側車線にタクシーの進路を変更したため,衝突の危険を感じて衝突を回避する行動をとったものである。
その行動がなければ衝突は避けられなかったと窺われるところ,そのような衝突の危険が生じた原因は,控訴人の運転方法にあったものといわざるを得ず,被控訴人が控訴人の運転方法について抗議をしたとしても,控訴人の主張するように一方的に言いがかりをつけたものということはできない。
また,被控訴人の控訴人に対する注意の方法が,その口調やタクシーの窓の叩き方などから,控訴人の主張するように相当程度に激しいものであったのに,控訴人の運転するタクシーの前方にはトラックが停止し,その右側には自動二輪車に乗った被控訴人がいるため,控訴人がその場を容易に立ち去ることができない状況にあったとしても,被控訴人が先に控訴人に殴りかかるなどといった危害を加えたものではなく,あくまで口論にとどまっていたところ,控訴人の方から先に殺虫スプレーを被控訴人に吹き付けたものであることは否定し得ない。
しかも,被控訴人の抗議は,深夜など周囲の目のない中で行われたものではなく,晴れた日の午前9時ころ,駅近くの衆人環視の下で行われたものであることからすると,控訴人が殺虫スプレーを被控訴人に再三にわたって浴びせ続けるほどの危機感を持つに至るような状況であったとは到底いうことができない。
むしろ,控訴人において,被控訴人の攻撃から身を守る必要があったというのであれば,タクシーの窓やドアを開けないで被控訴人が冷静になるのをまつというのも一計であるのに,かえって,やにわに運転席の窓越しに殺虫スプレーを吹き付けた後,さらに車外に出て,殺虫スプレーを吹き付けているように,控訴人の方から積極的に攻撃しようとする姿勢すらみられるのである。
以上によれば,控訴人は,被控訴人の注意を受けて口論となった後,それまでのやりとりから逸脱して,憤激のあまり,殺虫スプレーを数回にわたって吹き付けるという暴行に及んだものというほかなく,そのような行為は,決して軽微な侵害行為ではなく,本件においては,控訴人主張の正当防衛の成立を認めることはできない。
考察
車を運転していて,前方の車が急に進路変更してくることに遭遇します。進路変更するに際しては,十分後方確認もして貰いたいものです。
また,バイクもバイクで,車の間隙を縫って走ってくるので,危ないから気を付けて欲しいですね。